昭和42年05月08日 夜の御理解



 お道の信心をさせて頂くと、神様の御都合と云う事をよく申します、どんな場合でも神様の御都合ですよと、どういう難儀な問題が起きてきても、やっぱり神様の御都合でしょうと、確かそこんとこの御都合でしょうと云うのでは、すっきりしたものが生れないから、それを神様の御都合だと、真実そうなんですから、神様の御都合だと云う事を、思い込ませて頂くと云う事が大事だと思います。
 神様の御都合なんです、病気をする事も、難儀な問題が起こって来る事も、理不尽な事を云われたり、そう云う事があったりする事も、御都合と言う所を焦点においての信心。どういう御都合であろうかと、そこに修業が求められる所なのです。ただ神様の御都合でしょうと、例えば泥棒に入られた、何か神様の御都合でしょうと、それだけじゃいけない、本当その事によって、成る程盗られた事は、惜しい事であったけれども、その事によって、こう言う様な事を分からせて貰った。
 ははぁ、してみると神様は、こう云う事を分からせて下さる為の御都合であったと、盗られた物は金であり物であり。けれども心の中に頂いたものは、もう無形の財産なのです。ですから神様の御都合であるという事を、ひとつ思い込ませて頂けれる所までの信心修業、いわゆる打ち込みをなさらなければ、御都合でしょうでは詰らん。自分を誤魔化しておるだけ、ただ自分を慰めておるだけ、ね。
 本当に御都合だと、勿論御都合と云う事をを結論すると、氏子可愛いという御一念の御都合以外はない、よりよい信心を分からして下さろうとする御神意以外にはないのである今日、私と久富先生の交替(御結界)の時でした、昨日も奥に下ってから、久富先生が先程御届けするの忘れていましたけれども、家内がといって、奥様が此頃二ヵ月あまり熱がなんとも どこから出るか、わからん熱の為に苦しんで、一ヵ月前に子供達があんまり心配するもんですから、とうとう入院されたんです。
 けれども依然として、矢張り熱は下がらない訳なんですね。そこで漢方薬ですね。みみずの黒焼きか何か、飲ませると熱が下がる。是は又熱には非常に特効薬らしいですね、みみずを煎じて飲ませるとか、黒焼きにして飲ませるとか。と言った様な事なんです。それを家内が、しきりに一編飲んでみたいというから、どの様な事で御座いましょうかと、お伺いがあったんですけれども、もう私は茶の間に下がっておりましたから、明日私が御結界に座っている時に、お届けなさいと云うておりました。
 そして今日、そのお届けがあったんです。そしたらですね、その事をお届けさせて頂いたら 私に頂きます事はですね、私にですよ、ここを今から下がったらすぐ尿の検査をして見よと云う事を頂いたんですよ。最近、私時々尿の検査をするんですよ、糖尿病という病名が付けられておりますので、ですから糖が出てるんです、出ている証拠に、尿の検査をしますとね試験紙がですね。
 真黄にならなければならないのが、真っ青になる、それが五つまでどのくらい悪いか段階があるのに、最高に悪い色が出るんです。ですから皆んなが心配してくれるんですけど、それとても何時も思うのですけども、神様の御都合だと思うんです。第一、一番はっきり分かっている事は、どう云う事かというと、もし私が去年ですかね、学院に入学しなければならない時に、糖尿病でなかったら、完全に一年間、試験受けに行ったんですものね。試験は出来たんですもんね。
 ところが糖尿病と腎臓病があるから、学院ではそれを受け切らないと云うわけです、私は一年間どうでも行かなければならない、周囲の状況からしてです、そうなっていたんです。ところがかんじん要の本部の方が受け付けなかったんです。そして一年後、一年してから受験と云う事であった、ところが一年経ちましても、矢張り依然として糖尿病があったと云う事です。いかに神様がですね 私を一年間でも、ここを空にしたくなかったという御神意を思います。
 ですから糖尿病という病気はですね、実を云うたらないのですよ、ですから私、此処でいろんな病人のお取り次をさせてもらう時に、医者が何んて云うた、かんて云うたと云うけれども、私は医者じゃないから病名が判る必要ない、問題はおかげ頂けさえすれば、よかろうが、と言う様な調子なんですけれども、糖尿病と云うておる、なるほど糖が出ておる、ここまでは事実なんです。
 本当なんです、けれども、それは神様の御都合なのだという事。私はもう十年ぐらい前から、足が全々立たなかった時代があります、もうあの時分の事から思うて見ると。又吐血をした時代もありましたよ、血を沢山、洗面器一杯ぐらい吐いた事があります。成程そうですから、衰弱も致しましたけれど、それは胃潰瘍でもなければ、例えば病名を付けるなら、いうなら足が立たんのは、中風が起こったと云う訳でもないのだと。
 問題は神様の御都合なのだと。私のだから糖尿病と医者は云うけれども、糖尿病という病名はなくてあるものは、神様の御都合があるだけだと云う事になるんですよ。その事を今日は頂くんですよね、それを私は、直接に申しました、久富先生それはみみずの黒焼きもよかろうけどね。先生、あなた自身が改まって願われたらどうですかと、今迄お願いし続けて来られたんですけど。
 改まってのお願いがなかった、改まってというのは、物を頼みに行くでしょう人にね、又改めてお願いに上がりますとか、又は今日実は改めてお願いに上がりましたと、こう云うでしょうが、いうなら着物一つでも着替えてからね。進物の一つでも持って行って、そして改めてお願いに行くでしょう、ですから久富先生に申しました。奥さんの事をです、みみずの黒焼きもよかろうけれども、そう言うような事は止めて、神様にどうでしょうか、改まってお願いをなさったらと申して、すぐ御祈念の座に付きました。
 そして御祈念が終ってすぐ食堂にも入らず、尿の検査をして見ました、驚きましたですね、神様の御都合である事を、何時も実感しており、神様の働きを本当に何時も身近に感じておる私でも、今日ばっかりは、びっくりしました。何故って。私、糖が全々出てないんですよ、試験紙に現われて来ないのですよ、そこで家内を呼びましてから、ちょっと誰かに見せとかないかんと思いましてね、家内を呼んで見せました。
 本当に嘘みたいな事なんです、又今晩調べて見れば、出るかも知れませんけれども、そういう神様のですね、御都合であると云う事が判るのですよ、久富先生が御結界にまだついておられましたから、先生、実はこんな事だったんですよと、あれだけ悪かった例えば月次祭にですね、菊栄会の連中が七、八人残っておりましたから、全員尿を取ってから、検査したんですよ、誰か糖尿病があるかも分らないから調べてご覧といって、所が皆んなやっぱり全々ないですね。
 唯、私だけがそれこそ青い青いその試験紙が、緑色の濃い黒い様な色になるんです。随分ひどいんですね、是は大事にしなさらないけんですよ、というて皆さんが心配して下さる程で御座いましたが、今日神様のおかげを頂いて、検査の結果、全々糖尿病じゃないと言う事になっているんです。医者はいやもう大丈夫ですよ、甘い物でも食べてもいいですよと、云う事になるでしょうね、けれどもそこはね、神様が、私が大体いやしんぼうですから。あんまり食べ過ぎない様に、丁度いい様に神様がおかげ下さるんですから、是はまあ続けたいと思いますけど、食事の方はそう云う事でした。
 先程 関さん達姉妹が参ってきましてから、お届けする事です、ある難儀な問題で、人間関係なんですよね、もう本当に理不尽なんです、どんなに考えても、そう云う事云われる筈ないところの人が、そういう事言うて、親子三人の者がその事によって、心配しておる訳なんです、神様にお縋りさせて頂いて、おかげ頂きなさいと云うて、お取り次させて頂いておりましたら、今晩参ってからのお届けは、もうおかげ頂いてから、無事先方の方も了解が出来ました。
 スム―ズにおかげ頂きました、と云う事なんですね、ですから是は内容は申しませんけれど ね、娘さんに申しましたんです、ほら神様の御都合だったと云う事が判ろうが、この人ばっかりは、どうして理不尽なんじゃろう、どうして判らん人じゃろうかと云う事はいるまいがと、その間に、関、親子三人の者に何かを判らせて下さる、何を神様が打ち込ませて下さろうとする願い。
 より心を広く持たして下さろうとする働きも、その中の大きなひとつで御座いましたでしょう。それこそお母さんが云うておられました、ほんなごと昔の私ならば、昔ならどう云う事になっておったか判らん、喧嘩になっとったか判らんけれども、信心させて頂いておればです、そういう理不尽な事をいわれても これは神様の御都合に違いないと、私共親子の者が改まりに改まり または精進に精進させて頂いて、神様に打ち向かう、神信心の稽古をさせて頂きよったら。
 それが嘘の様な、本当に馬鹿の様に、それで初めから相手の人がスム~ズに出ておったら、こちらは当たり前の事の様に思う、けれどもそこに、そういう一つの引っ掛かりがあったおかげで、先生おかげ頂きまして、有難う御座います、と云う事になって来るのですよ。神様の御都合という事が判るでしょうが、そこにその神様の御都合という事、一切どの様な場合にでも、神様の御都合と思い込められる為に、打ち込んだ信心修業をしておかなければいけないという事なんです。
 私が此処十日あまり申しておりますね、打ち込む事なんだともう打ち込みさえすれば、絶対おかげは間違いないんだと、それは丁度地下水の様に蕩々として流れておる水の様な物だとこの地の下には大きな川があるんだ。しかも蕩々として流れておるんだと。そこに打ち込むのですから、それは五間打ち込まなければ十間打ち込まなければ、ここの場合なんか四十間から打ち込んで御座いますもんね、四十間打ち込まなければ良い水に当らないと言う所もそらあろうけれども、打ち込んでいけば絶対のものなんだと。
 そこで今朝から、堤清さんのお届けなんですよ、このころ先生が打ち込め、打ち込めと云われるけれど、御理解頂きよるばってん、ひとつも判らん、自分流儀にわからん堤清流儀に判らんから、神様どうぞ打ち込むと云う事は、どう言う様な事でしょうか、わかる様に御理解下さいと、云うてからばん夜休ませて頂いたと、そしたら、今朝からお夢を頂いているんですよね、それがこの頃から、お父さんの、町議の選挙の事があったんですが、同じ村内から二人立った。
 堤さんと又別の方が所がその堤清さんが、向こうに行かれると向こうからですね。その言うならライバルである所の、そのもう一人の方が向こうから見るだけなんですね、こちらは淡々としておると言うわけなんです、所が向こうはもう顔を見ただけで顔色を変えてから敵同士と言う風にしておられるけど、こちらは平常と同じ状態でその人に接してその人に一礼さして頂いて進んで行った所のお夢を頂いたとこう云う清さん。
 打ち込むと云う事はそう云う事なんですよと、云いました。あの選挙の時に貴方親子の者が、夜もなければ昼もない一生懸命に、合楽、合楽といって参って来たでしょうが、しかも本当に涙流さんばっかりに、お縋りしたでしょうが、あれが打ち込みなんですよ、しかも打ち込む事がです、不純なものがない、あれに負けるものかといったものはない、貴方がお夢の中に頂いたところの。
 向こうはライバル意識でありましても、こちらとしてはです、淡々としてその事に一生懸命どうぞお願い致します、余談ですけれども、此処のある信者さんが云うておられました。私は堤さんのお父さんの方には、大して付合わないけど、清さんが、どうぞお願い致しますと言うてから、あの誠意に触れたらですね、もう運動の一つも頼まれとらんばってん、せなおれなかったと云う人がありましたよ。
 真心というのはそうして動かすんですよ。 まあ選挙の事は別に、でも本当は落選のはずのが、当選のおかげを頂いたんですけどもね。あの選挙の時の様にです、皆んなに、誰にでも地を低うせよと云う事どうぞお願い致します。しかも神様に向けて一生懸命。同時にその人がライバルでありましても、そこにはひとつもライバル意識もない、不純なものもない。淡々として神様の前に打ち込んでいけれる。
 あの選挙の時の様な気持ちが、清さん、打ち込む事ですよと云うて私は、私もそれを頂きながら本当にそうだなと思うんですよ。そしてまたお夢を頂きました、その夢がどうだったかというとですね。何かの会合にですね、時間に遅れた「時間に遅れる様な事では打ち込んでるとは云えませんよ」という御声を頂いたと、もう是なんかは、一言で決まってる気がしますね。信心に打ち込んでると言ってもです。
 月次祭に時間に遅れる様な事ではね、打ち込んでるとは云えないと云う事、本当に神様の教えて下さる事は、素晴らしいと思うです。ね。例えばこうやって青年会なら青年会が開かれる。八時なら八時の会合だ、九時なら九時の会合だというのに、もうそれに遅れて来る様な事では、信心をしていると致しましても、打ち込んだ信心をしてるとは云えないという事。打ち込むとはそういう事なんだと。ね。
 そういう、例えばです、清さん、今朝方からお夢の中に頂いている二つの、まだ他にもありましょう。打ち込むという事は、そういう打ち込みの信心が出来てこそ初めて、今日申します神様の御都合である。いや一切が神様の御都合である。しかもそれはです、おかげ頂かせなければやまんという、神様の願い以外ないのだと云う事を判らせて貰って、もう御都合じゃろうと思います。
 というもんじゃなくてです、御都合だと信じて安心しておれる。そしてどういう御都合であるかという事です。詮索していくというか、それを判らせて頂くというか、そこの所に焦点をおいていけば良いと云う事が判る。ね。私の身体の上に起きてくる、足が全々なえてしまって立てなかった時なんかです、もう普通で云うたら、それこそびっくり仰天ですよ、しかも何年間も続いたんですから。
 けれども医者のいの字も云わなかったですもんね、吐血した時もそうでしたもんね、そら吐血するから顔も青くなりますし、やっぱり大変で御座いましたけども、神様の御都合である事を判らせて貰ってです ね。おかげを頂いていくというのが信心だという事。一切の事の上に神様の御都合だと思い込ませて頂ける所まで、信心を打ち込ませて頂かなければいけないですね。
   どうぞ